医学部をはじめとした専門分野を学ぶ学部では、主に1年の時に一般教養(通称”パンキョー”)を学ぶところが多いと思います。
そのときに一度くらいこう思ったことはありませんか?
確かに、医学部では基礎医学・臨床医学と学ぶことがたくさんあります。そんな中でどうして一般教養を学ぶ必要があるのでしょうか?
その理由を最終学年になってから改めて考えてみました!
この記事の目次
無知を自覚する
結論から言うと、それは「無知の知」にあると思います。
無知の知とはギリシアの哲学者ソクラテスで有名な言葉です。
自分が無知であることを自覚するという意味で、ソクラテスの思索の出発点となるもの。「ソクラテスより知恵のある者はいない」という神託を聞いたソクラテスは、賢者だとみなされている人の所を訪れたが、彼らが「知らないのに何かを知っているかのように思い込んでいる」ことに気づき、自らの無知について自覚している自分の方が知恵のあることを悟った。
濱井修『倫理用語集』山川出版社、2019
つまり、自分が何も知らないと認めるところから始めていこう!という考え方です。
無知を自覚するために一般教養を学ぶのだと僕は考えています。医学だけを学ぶと勘違いしてしまう
医学部は特殊な学部です。
他の学部と違って6年制だったり、キャンパス自体が他の学部とは別の場所にあったり、高学年には病院実習もあったりします。
それゆえ、色々な意味で閉鎖的になりがちです。
医学部が閉鎖的であることについては過去の記事で述べています。
こうした閉鎖的な環境にいると他の学部がなにをしているのかがわからなくなります。
それによって、
といったような勘違いを引き起こしてしまう可能性があるのです。医学部にサイ◯パスが多いのもこうした環境が影響しているのかもしれません。
という声が上がると思います。
具体的にどのような無知を知ることができるのかを以下で述べていきます。
他学部の人との話題作り
まず、他学部がどのようなことををするのか、一般教養の範囲ですが知ることができます。
僕は1年生のときに線形代数や微分積分、数学、力学、電磁気学、熱力学、流体力学、物理化学、有機化学、経済学、論理学、倫理学、文化人類学、哲学、教育学、言語科学、歴史学のような授業を履修していました。
これらは医学部以外でも理系文系問わず多くの学部が学びます。
こうした多岐にわたる学問をかじりでもいいので学ぶことによって他学部の方と話をしていくときのクッションになると思います。
専門分野で話はできませんが、こうした一般教養であれば話はある程度できます。
と思っていても医師になると患者も含め色々な人と話をしなければなりません。
その際の話題作りとして一般教養を学ぶのは最適なのです。
実は医学に関係していることもある
また一般教養の中には医学に関連する事柄もあります。
一部ですが、自分が気づいたことを列挙してみます。
ドイツ語
ドイツ語を履修すると、医学用語が出現するときに気づけるようになります。
Köbner(ケブネル)現象やSjögren(シェーグレン)症候群がまさにその例です。もちろんドイツ語由来ということを知っていなくても影響はしませんが、知ったことがある言語だと親近感が湧きやすいです。
そのため、個人的にはドイツ語は医学に関係しているので履修しておいて損はないと考えています。
流体力学
流体力学で学ぶ表面張力や粘稠度は主に生理学で肺胞や血管について学ぶときに関係してきます。
肺胞は口や鼻から吸った空気中の酸素を取り込み二酸化炭素と交換する組織です。肺の中に存在し小さな粒々のような形をしています。実はそのような形を維持できているのは表面張力のおかげなのです。
また血管は弾力性のある壁と、中に少しどろっとした(=粘稠度がある)血液が流れています。病気の場合を除きドロドロというわけではないですが、少なくとも水と同じようなサラサラというわけではありません。この粘稠度によって(他の影響もありますが)、動脈と静脈内での血液の流れる速さは変わるのです(ポアズイユの法則)。
電磁気学
画像診断で用いられるMRI(Magnetic Resonance Imaging; 磁気共鳴画像)に電磁気学が関係します。
MRIでは磁石と電波を使って水を構成する水素原子の位置を解析し、撮影した体の部分の画像を作るので、放射線を使うCTと違って被爆しません。
その点からMRIは頭部をはじめとした様々な部位で有用です。
その原理を電磁気学で少し学ぶことができます。
点と点は後から繋ぎ合わせることしかできない
また、一見関係ないと思った学問が実はそうでもない場合があります。
ここでスティーブ・ジョブズのスピーチの一部(日本語訳)を抜粋します。
繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。
https://www.nikkei.com/article/DGXZZO35455660Y1A001C1000000/
これはAppleで有名なスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式でのスピーチです。
Apple製品というのは機能だけでなくそのデザイン性も魅力になっています。
そのデザイン性というのは彼が大学時代に学んだカリグラフが影響しており、それを彼は俯瞰して述べているわけです。
ここから何が言いたいかというと、現時点で直接関係ないように思えてもそれが後にプラスになる可能性があるということです。
先ほど挙げた例以外にも学んだことが将来自分に影響する可能性があるかもしれません。
モラトリアムでもある
また、この一般教養を学ぶ期間が設けられているのは医学を学ぶ前のモラトリアムと捉えることもできます。
いかんせん医学生は2年から6年までずっと医学を学びます。
また最初に学ぶ解剖学や生理学、組織学はその圧倒的な分量にうちひしがれることもしばしばあります。
そうした点で、この一般教養を学ぶ期間というのは医学という暗記地獄を学ぶ前哨戦みたいなものかもしれません。
無知の知が架け橋となる
以上のように医学生が一般教養を学ぶ意義というのを考えてきましたがいかがでしたでしょうか。
もちろん、1年生の頃というのは受験戦争を終えて遊びたい時期ですし、入ってからもずっと勉強漬けだと体が持ちません。
そのため、全ての授業を真面目に受けろと言っているわけではありません。
ただ、一般教養は1年生の頃しか学ぶ機会がないです(自分から学ぼうと思わない限り)。
この時期に医学以外に触れることで「ふーん、そんな学問もあるのね」と知ることが重要なのです。
そうした「自分が将来的には学ばないけど、どういうことをしているのか知る」という経験をしておくことが、自分が無知であることを知る「架け橋」になるのではないかと僕は考えています。
・濱井修『倫理用語集』山川出版社、2019
・飲茶『史上最強の哲学入門』河出書房新社、2015