先月、東北で最大震度6弱の地震が起きました。
東日本大震災から10年を前にしての出来事でした。大きな津波はなかったのは不幸中の幸いと言えます。
ところが、これから先何が起こるかわからないのがこの世の中です。
僕は関西に住んでいますが、関西でも2018年にブロック塀が壊れて児童が亡くなる原因となった大阪北部地震や、関西国際空港と本州を結ぶ橋が壊れる原因となった台風21号が起こりました。
さらに、このご時世で今までの日常は失われてしまいました。
どこに住んでいても災害が私たちを襲う可能性があるのです。こうした中でどのように生きていけばいいのでしょうか?
この記事ではそういう悩みを持ったときの生き方について見て行こうと思います。
「今」を生きる
こうした悲観的な考えに対しての答えは、「今」を生きることだと僕は考えています。
過去や未来に縛られすぎずに「今」という時間を大切に過ごす、それがこれからの時代を生きる上で重要なことではないでしょうか。
人生の道のりが長い具体例が医学部をはじめとした医療界隈なので、ここから先は医学部に的を絞って話をしていきたいと思います。
医局で高い地位に登りつめることは解決なのか?
医学部では、卒業しても研修医や専門医、大学院、など終わりの見えない道が続きます。
僕が最も言いたいのは、この世の中何が起こるか分からないのにこうした「おもちゃの勲章」に固執し続けるのは本当にいいことなのか?ということです。
もちろん、こうした地位があるおかげでこの国はまわっていることは否定しません。
しかし、自分で考えずに流されて医局に入りいつのまにか今の自分になっている方が今の現状を嘆いているのを見ると、とてもいたたまれない気持ちになります。
このような方々を見て我々が学ぶべきことは「人生は自分で選ぶ必要がある」ということです。
もちろん僕自身も小さい頃は人生を100%自分で選んだとはとても言えません。
その時は周りの大人がいるおかげで守られていたというのもあります。
一方、大人になってからは自分の人生の選択に誰も助けてくれることはありません。
まわりに流されるままに生きて40歳頃になってから「あのときこうしていれば…」とたらればをつべこべいっても時すでに遅し、なのです。自分で選択しよう
大切なのは自分で人生を選択することです。
江戸時代は士農工商という身分制度があり、生まれたときからほぼ死ぬまでの運命が決まっていました(もちろん、渋沢栄一のような農民から武士になったものもいますが)。
しかし現在は、世界中で自由主義がはびこっていることもあり、他人に迷惑をかけない限り個々人の自由に人生を生きることができます。
僕たちも今は医学部をはじめとした界隈に所属していますが、別に何をしようと(別に無理に医師にならなくてもよい)自由です。
このご時世、雰囲気にのまれて人生を決めるのは得策とは言えませんし、その選択に相手は責任を取りません。
選択するとはどういうことか
という声があると思います。
そういうときは自分に大切なことは何かを基準にして決めるといいのではないでしょうか。
自分にとって家族、友人が大切なら彼らを最優先にできる環境に身を置くことが必要です。そのために医学生で言うなら時間の自由が効く診療科に進むことです。
もちろん、自分にとってまわりからの評価や名声が必要というのなら医局に入りそこでの地位を上げることに集中することが大切です。
しかし、その選択によって得るものがある以上、切り捨てなければならないものも出てきます。
例えば、今回のような災害に家族や友人がまきこまれてもすぐに駆けつけることができるとは限りません。
地位を最優先にしている以上、家族や友人に構うことは時間的に不可能だからです。
優先順位を決めて生きていく
ここで反論として以上のような声があがりそうですが、全てを得ることはできません。
人間誰であろうと、時間という資源は平等です。
それゆえ、人生は原則トレード・オフの関係で成り立っているので全てを手に入れることはできません。
まず、自分にとっての優先順位を決め、それに沿って行動していく。
そうした上で「今」を大切にして日々を生きていくことが、若輩者ですが僕の知見です。